糸井嘉男ももう37歳の大ベテラン。
そんな糸井の過去を掘り返って
どのように打者として評価されたのか
これまでの歴史を紐解きましょう。
まずは小学時代から。
⇒【糸井嘉男天然エピソード】
小学生~中学
小学生の頃の情報はあまり詳しく
わかりませんでした。
しかし小学生時代もしくは幼稚園の頃に
自分のプロフィールについて書かれた
文集のようなものが
スポーツ新聞で公開されていた。
なまえにはよしおからきたのか
「しお」と書かれており
星座にはしし座と読めんこともない
「UU」と書かれていた。
何かと不完全ではあるが
完璧にかけている所がありました。
それは将来の夢です。
そこには「プロ野球選手」と
書かれていました。
中学校進学後は学内の軟式野球部に所属。
3年時、大事な試合前の直前の練習中に
糸井がベンチに座りこんでいたのを
見つけた顧問の教師に「帰れ!」と怒鳴られ、
本当に帰宅してしまう。
チームも早々に敗退、
強豪校からの誘いを受けられず、
公立の宮津高校に進学した。
⇒【糸井が4番固定されなかった訳】
⇒【糸井嘉男の生涯打率3割越維持】
高校~大学
高校入学直後にはまず中学時代からの傷である
割れていた膝の皿を治すのに1年を費やした。
2年春の練習試合で復帰登板を果たすが
肩の痛みを発症してしまい
今度は肩を手術することとなる。
その後医師の許可が降りた3年春に復帰。
プレーしたのはわずか3カ月ほどであった。
阪神スカウトからの注目はありましたが
ドラフト指名は確実視されておらず
4年後を見据え、近畿大学に進学した。
近大野球部では、1年秋から先発を務めていたが
3年時の秋季リーグでリーグ戦デビュー。
4年時の春季リーグではようやくエースとして
登板するに至った。
2度の完封勝利を含む5連勝の大活躍で
リーグMVP・最優秀投手・ベストナインの三冠に輝いた。
⇒【天然糸井の筋トレの秘訣】
打者転向まで
2003年プロ野球ドラフト会議で
北海道日本ハムファイターズに自由獲得枠で
指名され入団プロ入りを果たしました。
かなり投手として注目されていたようですね。
しかしプロ入り2年間は一軍登録されず
二軍では通算36試合に登板し、
8勝9敗3セーブで防御率は4.86であった。
投手としてはあまり、結果がだせなかったが
高田繁GMに野手としての素質を見込まれて
2006年春に正式に外野手にコンバートした。
それが大当たりし、わずか5カ月にして
イースタンリーグの月間MVPに輝いた。
シーズンの成績が評価され
1軍が勝ち進んでいたアジアシリーズに
参加した。
これが1軍初出場である。
そして2007年、ここから
糸井の打者としての物語が幕開けた。
⇒【天然糸井の脚力がエグイ】
⇒【天然糸井炸裂のリアル野球盤とは】
まとめ
いかがでしたでしょうか。
糸井の過去をわかっていただけましたでしょうか。
結構苦労しているんですね。
糸井選手はセンスの塊だと
思われてしまいがちではありますが
プロ入りするまで華々しい人生を
送っていたわけではありません。
今の糸井はこれまでの努力の結晶だ。
⇒【大谷選手に学ぶ夢の叶え方】
⇒【ストイックダルビッシュとその妻】