糸井選手は、天然エピソードがいっぱい!!
日本プロ野球でも絶大な人気を誇る選手です。
人気に劣らぬ実力者で試合での活躍後インタビューを受けることも少なくありません。
そんな糸井選手が受けたインタビューの中で、突拍子もない発言の数々が注目されています。
それ以外にも、驚きの天然行動の多さに天然伝説が世間に流布しています。
糸井選手を知らない人でも思わず笑えてしまう面白発言がいっぱいです。
糸井選手の伝説天然エピソード
ここからはエピソードを箇条書きにご紹介します。
大学時代ミスをした糸井ですが
殴ろうとした監督にハイタッチをした。
ドラフト指名会食された後の球団との会食が終わり
「どうでしたか?」の記者からの質問に対し「エビフライでした」と回答。
首位独走中のヒーローインタビューにて
「最後まで諦めずに」となぜか追いかけるチームとしてのコメント
プロ入り5年経過後の質問
「うちゅうかんってなんですか?」
代打で出場し三球三振後に
「何の球種を待っていたのか?」と聞かれ、「ストライクです」と回答
契約更改でハンコを押そうとしたら
ポケットから出したらリップクリームだった。
オールスター初出場決定後のインタビュー
「セリーグで話してみたい選手は?」と聞かれ「えっ!?自分はセリーグのベンチに入るんですか?」と回答
シーズン途中にリーグ優勝が決定した日
会見でファンに対し「1年間ありがとうございました。」と挨拶し周りの選手からは「まだ終わってない」と一斉に突っ込まれる。
最終戦セレモニーにて優勝旗持ってグラウンドを1周
他選手はファンに対するシーズンのお礼を述べる中、
糸井だけが「重いですね」と優勝旗の感想を述べる。
報知新聞で優勝手記を発表
「インフルエンザにかかったときにもっとうがいすればよかった」と寄稿。
打者転向してすぐのインタビューで
「これからの目標は?」と聞かれ「打ったら走ります!」と回答。
打者転向時のコーチからのアドバイス
「何も考えないようにしてバットを振れ」とアドバイスされるが「何も考えないてなんだけ??」と考え込んでしまい、何も考えないことができない。
糸井の打撃センスに大村コーチが大興奮も
「目標は世界中の投手を打つことだ」とコーチ大興奮するも、
当の本人は「おれ、日本ハムをクビになるんですか。」と心配し始める。
打撃センスについての周りの評価
口で言っても分からないがバットを持って指導すると2-3カ月かかるところを10球で理解してしまった天才。
wbc全試合フル出場後キャンプに合流
コンディションを考え森脇監督は「明日はゆっくりしてもいいぞ」と声をかけると、
「出してもらえないんですか!?僕が必要ないチームになったんですか!?」と焦り始める。
さらには「時差ボケは大丈夫なのか?」と尋ねると、
「そういうのは向こうが合わせる」と答えた
元トライアスロン選手の父と元バレーボール選手の母
リアル野球盤で石橋貴明から「お父さんは何ですか?」と職業をきかれ
「お父さんいます」と回答。
ピッチャー時代の投球練習
カーブを投げるといってたのに、
ロージン触ったりしているうちに忘れて剛速球を投げる。
「ノーコンだな!」と言われ
「濃紺じゃないですよ!!」とアンダーシャツを指さした。
野手転向後プロ入り初打席での試合
打ったとたん、一塁じゃなく三塁に向かって走り出した。
天然伝説の数々。
糸井選手のその天然も
「まあ、糸井だし」で済まされる実力があるからこそ。
実際の糸井の活躍ぶりをご紹介します。
⇒【糸井の登場曲の移り変わり】
糸井選手の成績は超人的?
現在、阪神タイガースで活躍中の強打者で日本を代表する5ツールプレイヤー。(バッティング・ミート、パワー、走塁技術とスピード、守備力、曹休能力)
また、日本プロ野球史上初の「6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞受賞」を成し遂げた。(2015年左膝のケガで途絶える)
2015年は自己最低のシーズンに終わりますが、オフに左膝の治療に専念。
自身から採取した血小板を使って組織の修復や再生を図るPRP注射と呼ばれる治療を受け、
2016年のシーズンでは再び打率.306と53盗塁をマークしゴールデングラブ賞を受賞。
完全復活を果たしています。
年齢に負けない活躍っぷり、
PRP注射で復活するのも超人っぷりが伺えます。
⇒【糸井を全力で応援する応援歌】
⇒【天然糸井の小中高大投手時代】
糸井選手の活躍の裏側
伝説的な糸井選手ですがここまで世間に認められるようになるまではどういった選手だったんでしょうか。
近畿大学で活躍した糸井選手がプロ入りしたのは2003年、ドラフト会議で「自由獲得枠」で指名され日本ハムに入団します。
実はプロ入りしてからは結構長かったんですね。
現在は外野手として活躍中の糸井選手ですが、この時はなんと投手での入団です。
その後、2005年までの2年間1度も1軍で登板することはなく2006年4月に野手にコンバートします。
その後、才能が開花し9月度のイースタンリーグでは月間MVPを受賞。
シーズン中の1軍出場はありませんでしたが、11月ポストシーズンにアジアシリーズの28名の登録選手に選ばれています。
そこから、順調に!というわけにはいかずケガに苦しみ迎えた2009年。
シーズンを通して1軍で活躍し契約更改では、約3倍以上増となる6000万円でサインします。
それ以降ケガをしながらも着実に結果を残しスタメンに常に名を連ねる選手になり,
2012年まで日本ハムで活躍し2013年ー2016年までオリックス,
2017年からは阪神で活躍しています。
⇒【糸井が4番固定されなかった訳】
⇒【糸井嘉男の生涯打率3割越維持】
まとめ
コンスタントに結果を残しインタビューではお茶目な糸井選手ですが苦しい下積み時代が長くあったんですね。
それにしても、天然炸裂の糸井選手。
逆に無駄なことに力入れない分結果に繋がる実力が着実に積みあがったのかもしれませんね。
糸井選手がお茶の間に感動と笑いを末永く届けられるよう活躍を応援しましょう。
⇒【大谷選手に学ぶ夢の叶え方】
⇒【ストイックダルビッシュとその妻】